水曜日, 3月 16, 2005

隠遁者エスタニスラオ・マリア神父の略暦

1915年9月12日
エスパレゲラ(バルセロナ)で生まれる 洗礼名はアマデオと名付けられた

1920年
4才半で、聖母マリアに足の障害を癒される 5才で、も一度聖母マリアは現れて、ご自分とともにモンセラート修道院に入るようにと呼ばれる その時から召命は修道者、隠遁者、司祭、宣教者になることを少しずつはっきり決める 子供時代には教会でいろいろな活動をする

1927年
12才で、病気のとき、イエズスが現れてご自分のもとに呼ばれた 同時に人々の救いのために尽くすように言われた 再び病気が癒されていた。

1928年8月5日
モンセラート志願者の学院に入会する

1933年
修練院に入る。修道名はエスタニスラウ・マリアと頂く

1934年6月
御心の祭日にイエズスが現れて、ご自分を愛していない人のかわりに、愛のいけにえとなってほしいと言われた

1934年8月6日
初誓願

1936年7月18日
スペインの内戦 キリスト教に迫害 モンセラートから脱出 修道院の23人殉教 一年間親の家へ避難 その後バルセロナの信者の家に避難

1937年12月8日
スペインを去りフランスへ向かう.2週間のあらしに船が流される

1938年1月
ベルギーの聖アンドレの修道院長に受け入れられる ベルギーで神学の勉強を続ける

1939年1月15日
隠遁者になるゆるしを頂く

1939年1月17日
ベルギーのMaredsous 修道院で荘厳誓願 春に内戦が終わります モンセラート修道院は再開する

1939年9月
モンセラートにもどる 第2次世界大戦始まる

1941年8月10日
モンセラートで司祭に叙階される

1941-1961年
修道院の共同体の中で神学院の教育者、 マリア学、教父学、典礼学などの研究 スペインとローマのマリア学のアカデミーからメンバーに任命される

1961年2月7日
腎臓の手術を受ける 深い命と死の経験の悟り

1961年4月27日
許しを得てモンセラートの聖母の洞窟で隠遁生活を始める

1961-1965年
霊的な師父としてますます外部からも求められる 第2バチカン公会議典礼委員会のメンバーに任命される

ある11月15日
タボル山の光のビジョンの経験を神からいただく

1965年9月14日
モンセラート山にある聖十字架の庵に引っ越し

1965-1972年
霊的な師父としてますます外部からも求められる 第2バチカン公会議典礼委員会のメンバーに任命される

1967年5月
モンセラートから、聖地、日本、帰天までに,ついて来た弟子は初めて出会い、エスタニスラウ・マリア神父はその師父となる

1970年9月29日
この弟子はモンセラート聖山で隠遁生活を始める

1972年12月14日
師父は聖地にむかいバルセロナからスペインを去る

1972年12月24日
ベトレヘムへ到着、近くのベイットサホゥルの洞穴で隠遁生活を続ける

1973年8月15日
弟子はは聖地に到着。師父に新しい名前は任命意される

1974年7月1日
師父は若いでしとともに三人でイスラエルから日本に向かう道中でインドのリシケスを伺う

1974年7月21日
日本に到着

1974年9月29日
隠遁生活を野崎島、舟森で始める すぐ、人りずつ、3人スペインからついてくる。その中にもう一人の弟子、ポルトガルの隠遁者マヌエル神父

1975年3月26日
弟子の荘厳誓願

1978年7月11日
この時までに、姉一人とブラさ二人は、ヨロッパに帰る

1978年9月15日
台風で船森の庵が壊される

1978年9月29日
舟森をでて、中通島、福崎の古い家で隠遁生活を続ける

1984年6月
中通島 大浦へ引っ越し

1986年9月6日
広島県へ引っ越し、庵はモンセラートの聖母・四方庵と命名

1996年
白内障手術に続き、骨折1ヶ月半入院

2000年6月
腎臓悪化

2003年2月21日
四方庵を去って大阪からモンセラートへもどる

2003年3月29日
モンセラート修道院で帰天 平和と感謝に約まれて聖山にある修道院のお墓で葬られた。